[PR]今日のニュースは
「Infoseek モバイル」

 ===================================

 【WEB版世界旅行体験記】  第21号 2004年10月30発行 (発行部数211)

 第21話 ローマ〜アッピア街道2編〜
 ===================================

 皆さん、こんにちは。
 キリです。

 アッピア街道はただの道路です。
 といってしまったらみもふたもなくなってしまいますが、この道が2300年前
 から存在し(もちろん、何度も補修しているでしょうから当時のままではあり
 ません)、数多くの英雄が歩いた道と思いながら歩けば、心も英雄気分(ちょっ
 と強引ですが)。

 ということで、さっそくアッピア街道を撮影してみました。

 「アッピア街道」
 

 アッピア街道は小さな石を敷き詰めた道です。
 この街道は軍用道として作られましたが、平時には商人や旅人が利用する道に
 もなりますから、できるだけまっすぐで、できるだけ広く、そして、できるだ
 け平に作られています。

 「アッピア街道接写」
 

 これらの軍用道は、兵士の空いた時間を利用して作られたそうです。
 それにしても、気の長くなるような作業をこつこつ続けなければならないので
 すが、その経済効果や軍事的な効果を考えれば、国家事業として行った古代ロ
 ーマの政策はさすがだと思います。

 さて、前回最後にご紹介したチェチーリア・メテッラの墓ですが、このチェチ
 ーリア・メテッラという女性は一体誰なんでしょう?

 世界史が得意の方はご存知かもしれませんが、ローマの第一回三頭政治を行っ
 たメンバー、カエサル、ポンペイウス、クラッスス。
 この中で最も影の薄い、クラッススの長男のお嫁さんです。

 クラッススとはローマ一の大金持ちだったが、あまりにもお金にがめついので、
 市民にはあまり好かれていなかったようです。
 そして、カエサル、ポンペイウスが数々の軍功を立てているのをみて、あせっ
 た彼は当時の大国ペルシアに攻め入り、無謀な攻め方をし、軍はほぼ全滅に近
 い状態に陥り、彼自身捕らえられ殺害されてしまいます。

 このときの戦いで、彼の息子も死亡しました。
 彼は父親には似ず、誠実で、カエサルのガリア遠征に従い、一軍の将軍として
 見事な成果を収め、カエサルからその著「ガリア戦記」にて何度もほめられる
 ほどの立派な武人でした。

 と、ちょっとうんちくが長くなりましたが、古代ローマを代表する人物のお嫁
 さんだったのです。

 「チェチーリア・メテッラの墓」
 

 お墓の中は…と思ったのですが、月曜日だったのでお休みでした。
 さすがローマ最大のお金持ちのところにお嫁に来ただけあって、広大なお墓で
 あることが外観からもよく分かります。

 「チェチーリア・メテッラの墓2」
 

 ちなみにこのお墓は14世紀に城塞として利用されたため、上部がお城っぽく
 なっているそうです。

 さて、これから先5キロほどもこの旧アッピア街道は続き、当時の面影をよく
 残し…とガイドブックにありましたが、すでに1時間半も歩いていたので、こ
 こで引き返すことに。
 次回訪れる際には、自転車を借りてサイクリングなんかしてみたいですね。

 「どこまでも続くアッピア街道」
 

 さて、来た道を帰るのですが、このチェチーリア・メテッラの墓のそばにはマ
 クセンティウス帝の競技場があります。
 こちらも月曜日だったので入れませんでしたが、立派な遺跡です。

 「マクセンティウス帝の競技場」
 

 このアッピア街道には、日本の一里塚のような標識がございます。
 ヨーロッパっぽくマイルで表記してありますが、最初通ったときには気付きま
 せんでした。

 「第一マイル柱石」
 

 うーん、ただの工事途中の場所みたいですね。

 さて、こちらはアルデアティーナ門です。
 比較的広い道路にこんな立派な門があるのにはビックリです。
 遺跡をうまく現代に利用しているなぁと思いました。

 「アルデアティーナ門」
 

 アッピア街道往復で大体3時間くらいでした。
 8時半くらいにスタートしたので、まだまだ時間は11時半。
 ここからバスで一旦テルミニ駅に戻り、次に訪れたのは、ローマを訪れたら一
 度は行きたい、「トレヴィの泉」です。

 次回は、トレヴィの泉をご報告いたします。
 それでは〜

 戻る